last update Sept. 11, 2007

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Biography

Flipper's Guitar(フリッパーズ・ギター)
小山田圭吾 (Vocal, Guitar)
小沢健二 (Guitar, Vocal)

●バイオグラフィー / ディスコグラフィー

ロリポップ・ソニックという名前で活動。メジャーデビューの際、「フリッパーズ・ギター」と改名。小山田圭吾、小沢健二に荒川康伸、井上由紀子、吉田秀作を加えた5人編成。
1989年、1stアルバム『THREE CHEERS FOR OUR SIDE - 海へ行くつもりじゃなかった』でポリスターよりデビュー。
その後荒川、井上、吉田が脱退、小山田圭吾と小沢健二の2人編成となる。
1990年、2ndアルバム『CAMERA TALK』をリリース。
1991年、3rdアルバム『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER - ヘッド博士の世界塔』をリリース、解散。

シングル
・Friends Again
フレンズ・アゲイン/Happy Like a Honeybee
(1990年1月25日)
・Young,Alive,in Love
恋とマシンガン/Haircut 100 バスルームで髪を切る100の方法
(1990年5月5日)
・Camera! Camera! Camera! (Guitar Pop Version)
カメラ!カメラ!カメラ! (ギター・ポップ・ヴァージョン)/Big Bad Disco ビッグ・バッド・ディスコ
(1990年9月25日)
・Love Train/Slide (Christmas mix)
ラヴ・トレイン/スライド(クリスマス・ミックス
(1990年11月21日)
・Groove Tube
グルーヴ・チューヴ/Groove Tube Pt.2グルーヴ・チューヴ パート2
(1991年3月20日)
・Blue Shinin' Quick Star
星の彼方へ/Dolphin Song ドルフィン・ソング
(1991年8月25日)

アルバム
・Three Cheers For Our Side - 海へ行くつもりじゃなかった
(1989年8月25日)
・Camera Talk
(1990年6月6日)
・Doctor Head's World Tower - ヘッド博士の世界塔
(1991年7月20日)

http://ameblo.jp/double-k/

いま、過去と未来の「若さ」に向けて

 フリッパーズ・ギター、1991年10月の解散から15年――。
 今回、彼らの1st&2ndアルバムの再発は、なにもその「15周年」の区切りを記念するわけでもなく、彼らの楽曲(ラスト・アルバム『ヘッド博士の世界塔』を除く)の配信が始まるのを機にデジタル・リマスタリング盤を……という企画だ。音源に関して未発表の曲が収録されているわけでもなく、リスナーを格段驚かせる内容ではない 。
 でも、みなさん。サンプル盤が手元に届いたり、試聴盤を店頭で見かけたら、有無を言わずにデッキやPCに突っ込みたくなるでしょ? いま改めてフリッパーズ・ギターの初期作を聴き直す「意味」は、少なからずある。いや、少なからずどころか、大いに。そして限りなく。そんなことはこれまで漫然と抱き続けていることで、わざわざ言われなくても「わかるわい!」とお叱りを受けるかもしれない。
 リアルタイム・リスナーが「大人のロック」愛好世代(汗;)になっても、最近の音楽業界で囁かれている「アーリー90'sリヴァイバル」や「ネオ渋谷系」なんてモードを形成する若い世代の出現(ほんとか?)があっても、この2作が封じ込めている「若さ」は不朽のマスターピース。屈託なくて、つねに青い。けど痛い。
 彼らの活動中から、さまざな人たちが彼らへの思いを語り、ネタ元を掘り、いくつもの噂話を交わし続けている。解散から15年も経てば、フリッパーズ・ギターというバンドそのものへの興味も一般的には風化しているが、根強いリスナーたちは彼らへの「愛」を忘れない。その事実だけで十分じゃないかと思ってしまうのだが……彼らへの愛惜めいた感情には、ある種の「傷」を伴っていることが厄介である。

■ □ ■

 デビューから「さようなら」ばかり繰り返してきたバンドだから? フリッパーズ・ギターの家に居候してたMOD犬=ドギー・ドッグ・ディーは「さよならするものが多ければ多いほど先へ進めると思い定めたパンクな暴走」と、彼らの解散直後、彼らの不在で掲載せざるを得なかった連載誌『宝島』に追悼記事を寄せている。けだし名文。フリッパーズ・ギターの回顧録を作るなら、絶対に収録しなくちゃならない。
 アティテュードとしての「パンク・バンド」だった……という評価は、確かに各所で指摘されていることだ。オリーブ系だとかアニエス系だとか、散々ヤワな印象で語られてきた彼らだったが、その一方で他者への暴言・憎まれ口を叩く攻撃性は、まるで懐に切れ味鋭いナイフ(=言葉)を隠し持ったインテリ愚連隊。彼らが「渋谷系」なんて呼ばれた端緒は公園通りを闊歩するスナップ族のノンポリ性ではなく、センター街を根城にしたチーマーの反抗心に通じ合うものがあったからではなかったか?
 渋谷を中心にしたレコ屋の在庫をあらかた把握し、根こそぎ音楽を「地上げ」するという消費行動にも、バブル期に暗躍した経済ヤクザに似通うものがあった。サンプリング・エイジの嚆矢として、さまざまな音楽をパクりまくるギャング団は、既存のシーン、あるいは評論家の視野狭窄にレジスタンスして新たな音楽地図を産み出した。
 中古盤のエサ箱をサクサク漁り、ホコリで汚れた手をルノアールのおしぼりで拭いながら戦果を見せ合う。あるいは雑誌取材のとき、六本木WAVEの閉店時間を気にするあまりインタビュアーの質問に煙を撒いて切り上げる。また地方キャンペーンとは、未開拓地のレコ屋を探訪して埋もれたレコードと邂逅するための方便だった。
 こんなふうに書くと、彼らが単なる高度資本主義下にあるノホホン大国・ニッポンの申し子に過ぎなかったように思われよう。それは、ある意味当たっている。しかし、最良のリスナーは手厳しい評論家であり、信頼に足るアーティストでもあるのだ。まぁ、ライブはお世辞にも上手いとは言えなかった。あれほど痛切にギターを掻き鳴らす人たちは、もしかしたら日本で初めて見たかもしれないけどね。
 いまさら掘り下げるまでもないが、彼らを過度な消費行動へと奔らせた原点には、80年代初期から滔々と生まれ、分化し、多くは時代の徒花として消えていった英国のネオアコ〜インディーポップ・バンドへの偏愛があった。ポスト・パンクの流れから勃興したネオ・アコースティック・ムーヴメントとは、お世辞にもメイン・ストリームの音楽として確立したものではなく、いわば「負け犬の嗜み」だった。
 1982年、オレンジ・ジュース『You Can't Hide Your Love Forever』。1983年、アズテック・カメラ『high land, hard rain』。1984年、ペイル・ファウンテンズ『Pacific Street』……いまでこそ「不滅作」として扱われているネオアコ作品も、フリッパーズ・ギターの出現時、一般的にはまったく黙殺されていたに等しい。ピュアな青春、号泣ウォウォ! はっきり言って「傷の舐め合い」でもあったのだ。
 だからこそ、たとえば「僕らの活動の最大の目的は、オレンジ・ジュースの日本盤を再発させること」などという戯言も実は本気だったし、日本の洋楽ライターの『C86』およびアノラック・ムーヴメントへの軽視/無知を口撃する態度には「殺したろか?」という凄みが感じられたのである。彼らはそれを「ネオアコ魂」と諧謔したが。
 そうした音楽への偏愛から、彼らが同時代、海の向こうのマンチェスター〜セカンド・サマー・オブ・ラヴと同調した経緯は、今回取り上げる初期2作以降の話となるので割愛するが……遅れてやってきたパンク少年たちの甘いマスクに隠された内面には、ドロドロとした怨念にも似た復讐心が潜んでいたのである。
 何に向けた復讐かって? 愛すべきものたちを古い墓場に眠らせるマーケット。あらゆる純粋さを切り裂く嘘と矛盾。大切なものを汚す愚鈍な大人たち。ほんとのことを覆い隠す世の中の不条理。夏休みの終わりを告げるプールの監視員の笛――。
 すべては「若さ」を殺していくものだ。
■ □ ■

 1989年8月に発表されたデビューアルバム『THREE CHEERS FOR OUR SIDE〜海へ行くつもりじゃなかった〜』には、そうした現実を全否定する理想の桃源郷がある。前身バンド=ロリポップソニックを改名し、インディーズ時代からのメンバー5人での活動により生まれた12曲が放つ瑞々しさは、ノン・メタボリックな無血革命。あるいは、すべての老いに(隠れて)唾を吐きかける「No Future !」な作品だ。
 さらに1990年6月、小山田圭吾と小沢健二の2人組となってリリースされた2ndアルバム『カメラ・トーク』は、いまなお古びることなく鮮やかで青々しい「夏の残像」を永遠に放つ。彼らがユース特有の輝きと残酷さを活写していることについて、ぼくはその普遍性に打ちのめされ続けている。まるで、ホールデン少年の物語。
 その一方で……ぼくは、あのころ彼らが忌み嫌っていた卑しき大人に成り果てた。唾棄すべきはオレ自身。そう、それが耳に痛いほど伝わるからこそ、彼らの作品に「痛み」を感じてしまうのではないだろうか。青春は一度だけ。手に触れてすぐ崩れて消えてゆくものなんだって! いやだね、大人になるってことは……。
 15年、いや1stの発表から17年。歳もとるはずだ。マーク・レントン風に言えば「The world is changing」。時代が変われば、音楽も変わる。彼らの解散後、数々のフォロワーや有象無象のアーティストが現れ、日本のロック/ポップ・ミュージック界は激しく流転し続けている。まさしく「音楽がオーバーユーズされた」世界で、ぼくは多分あのころ思い描いていた未来を掴み損ねている。
 しかし、嘆いてばかりはいられない。15余年も経てば、いろんなことが起きる。喜びと悲しみ。成功と挫折。生と死。出会いと裏切り……。ここで郷愁に浸るわけにもいかないけれど、そうした人生の光と影(!)を知ることでフリッパーズ・ギターの音楽はより切実に聴こえてくる。失い続ける「若さ」を突きつけながら。
 もしかしたら、今回のリイシューを機に初めてフリッパーズ・ギターを聴く若い世代がいるかもしれない。でも、きみたちも、いずれすぐに知るだろう。自分たちの「若さ」が一瞬のものだったということを。ざまあみろ。そして、ウェルカム。宿命的で致命的な緩慢な老いへようこそ! 彼らが残していった傷跡は、15年経っても残り続けている。おそらく、何十年たっても一千年たってもそれは続く。
 ぼくたちがおじいちゃん、おばあちゃんになってもね。

 Sounds great to me !

2006年6月 増渕俊之

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